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祐子内親王 (後朱雀天皇皇女) : ウィキペディア日本語版
祐子内親王 (後朱雀天皇皇女)[ゆうし]
祐子内親王(ゆうし(すけこ)ないしんのう、長暦2年4月21日1038年5月27日) - 長治2年11月7日1105年12月15日))は後朱雀天皇第3皇女、母は中宮・藤原嫄子敦康親王女で藤原頼通養女)。別名高倉一宮あるいは高倉殿宮高倉宮)。同母妹に禖子内親王藤原師通を養子とした。
生後2ヶ月で内親王宣下を受ける。母后・嫄子の死後は頼通に養育され、長久元年(1040年)10月に着袴と共に准三宮。頼通とともに高倉第に住んでいたため、高倉一宮あるいは高倉殿宮と呼ばれた。延久4年(1072年出家承保元年(1074年)、甥・白河天皇から二品を授けられたが辞退した。長治2年(1105年)11月7日、68歳で薨去。
祐子内親王は歌合を盛んに催すなど一大サロンを形成し、歌人祐子内親王家紀伊菅原孝標女などが仕えたことで知られる。
category:平安時代の女性皇族


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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